2005/06/18

第5話「運命の入口」

はいつものように女を隣りに乗せて
シトロエンのハンドルを握り第三京浜を走っていた。
それぞれの日常から解き放たれたかのように
男と女はそれぞれ普段とは違った表情を見せる。
新横浜駅前のホテルのスイートルームで過ごす週末。
二人にとってそれはつかの間のオアシス。

車はいつものようにインターを降りて
新横浜の街に向かっていった。
この道を何度こうして走ったことだろう。
建設中のスタジアムを右手に眺めながら
見慣れたビル街が見えてきた。

syhp男はいつものようにハンドルを切り
ホテルのパーキングへ車を滑らせた。
今日はフレンチにしようか、それともイタリアンか。
たまには和食もいいかも知れない。
そんな風に思いながら、女に問いかけた。
「今日は何食べる?」

すると女はこう答えた。
「ラーメン食べようよ♪」

ラ、ラーメン?男は自分の耳を疑った。
目の前で微笑む女は、間違いなくつい今さっきまで
車の中でパルマ産プロシュートの話をしていたではないか。
プロシュートだからこそ「生ハムメロン」は成立するのだ、と
そんな話をしていたのは別の女だったのか?

「な、なんでラーメンなんだよ」
男は動揺しながら尋ねた。
「だってこないだ言ってたじゃん」
「俺が何を言った?」
『俺はラーメンなんて食べたことないから
 あのラーメンが旨いかそうじゃないか比較できないよ』
って♪」

何故お前は俺の言ったことは一字一句記憶していて
お前が言った都合の悪いことは全て忘れられるのだ?
男は女の都合のいい身勝手な記憶力に呆れていた。

「新横浜にね、ラーメン博物館ってあるんだよ。知ってる?」

男は女に手をひかれ、とあるビルへと入っていった。

(第6話に続く)

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2005/04/04

第4話「葛藤との対峙」

は言いようのない焦燥感に襲われていた。
これまでラーメンなどという下司な食べ物を
美味しいと思ったことは一度もなかった。
三十路になって初めて知った人生の真実。
それを十九歳の小娘に知らされた屈辱。
そう簡単に自分の価値観を変えるわけにはいかない。
今さらながらに美味しいと口に出したことを後悔しつつ
しかし目の前にいる女に対して誠実でありたい自分もいた。

dogenzaka「ね〜、やっぱ美味しかったよね?」
店を出て道玄坂を上り円山町までの道すがら
女は男の腕に自分の腕を絡めながら
満足げにそう問いかけてきた。
男は自問自答した。
ここで美味しいと言ってしまうことは
自分のこれまでを全否定することにはならないか。
あるいはこの目の前の女の軍門に下ることにはならないか。
しかしここで不味いと言ってしまうことは
自分の素直な気持ちに嘘をつくと同時に
愛する女に対しても嘘をつくことにはならないか。

「この値段ならまぁアリなんじゃないの?」

男は非常に屈折した答えを口にした。
女はそんな男の反応を楽しむかのように
「またそんな風に言う」と軽く口を尖らせている。
「だってお前ラーメンとフレンチは比べられないだろ」
「美味しかったなら素直にそう言えばいいのに」
女は男とのやりとりを楽しんでいるかにも見える。

「俺はラーメンなんて食べたことないから
 あのラーメンが旨いかそうじゃないか比較できないよ」

その一言がいけなかった。

「じゃあさ、他にも行きたいラーメン屋さんあるから
 今度また一緒に行ってみようよ!ね?」

この一言から男の人生が劇的に変わっていこうとは
男も女もまだ知る由もなかった。

(第5話に続く)

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2005/03/14

第3話「価値観の崩壊」

は嬉しそうに男の手を引く。
「ここだここだ!食券を先に買うんだね!」
メニューを見つめる女の潤んだ眼差しは
今までに男には見せたことのないそれであった。
男はそこにわずかな嫉妬心を感じながらも
女が見つめるメニューに目をやった。

太肉麺(ターローメン)

「このね、太肉麺っていうのをテレビでやってたんだよ!
 ね、これ2つでいいよね!?」
女は男の答えを待つまでもなく、太肉麺2つを注文した。

女はラーメンを待っている間、男に色々と話しかけていた。
仕事のこと、友人のこと、家庭のこと。
しかし男の心は上の空であった。
店内にはラーメンについての説明が書かれていた。
昔から説明書や食品などの原材料を見るのが趣味の男は
初めてのラーメンについての情報を取得するのに必死だったのだ。

「麺は固めに茹でてありますが、生煮えではありません」

何を言っているのかさっぱり分からない。
わざわざ生煮えではない、などと断るくらいならば
最初からそう誤解されないような茹で加減にすればいいではないか。
そう店内の注意書きに文句を言おうとしたその時、
目の前にラーメンが現れた。

これはいったいなんだ。

taromen小降りの丼の上には
スープすら見えない程の具が乗っている。
しかもラーメンの具とは思えないものばかり。
角煮?角煮は卓袱料理ではないのか?
キャベツ?しかもこれは生ではないか?
そしてスープの上に浮いた黒い油は何だ?

そもそもラーメンにキャベツは違うだろう。
キャベツはトンカツに合わせるものだ。
何が哀しくてキャベツを生で囓らなければならないのだ。
しかもこんなに大きな切り方をして…
俺は虫じゃねぇんだ…
男は自問自答しながらスープと黒い油にまみれた
生のキャベツを恐る恐る口にした。

うまい

生のキャベツがこんなにラーメンと合うとは。
男にとってそれは想像を超えた衝撃であった。

「ね!美味しいね!」
女は屈託のない笑顔で男を見つめる。
男はラーメンなどという下司な食べ物を
笑顔で美味しいという女に対して
普段ならば憎悪を覚えるはずだった。

「うん、旨いな」
思わず口をついた心の叫び。
男のそれまでの価値観が音を立てて崩れる瞬間だった。

(第4話に続く)

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2005/02/03

第2話「未知の道具」

スカレーターを2階に上がると
そこは数々のラーメン店が並ぶ、
ススキノの「ラーメン横丁」のような場所だった。
「ここにあるんだよね、おいしいラーメン」
女はこれまでに男に見せたことのない笑顔で遠くを見つめる。

………

「ここにあるんだよね、おいしいラーメン」
小学生の頃、友人がショッピングセンターのラーメン店を指さした。
そこにはソフトクリームの電飾看板が置かれていた。
天麩羅を扱っている鰻店に旨い店はない。
すでに小学生の時に父親にそう教えられていた男にとって、
ソフトクリームを扱っているラーメン店は許容出来るものではなかった。

「お腹空いたしさ、食べていこうよ」
ー山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。
意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。ー
すでに小学生の時に父親に夏目漱石を読まされていた男にとって、
その申し出を受け入れる度量も拒む余裕もなかった。

男にとってラーメンとは何もない時に家で母が作る
おやつとしてのポジションでしかなかった。
たっぷりの野菜とひき肉を炒めた味噌ラーメン。
お金を払って外で食べる食事としては認識していなかった。
人生で初めてラーメン店に入る瞬間。
それは少年を大人に変えた瞬間なのか。

友人は慣れた様子でラーメンを注文し、
男もそれに同調した。
そして目の前にラーメンが出てきた。
その時男の目はあるものに釘付けになった。
rfolk「これはなんだ?」
ラーメンは箸と蓮華で食べるものだろう。
これはフォークなのか?いや違う、スプーンなのか?

友人は慣れた様子でその未知の道具を使いこなす。
箸を上手に使えないことは恥である。
すでに小学生の時に父親にそう教えられていた男にとって、
この未知の道具に手を伸ばすことには
少しの勇気とある一定の観察が必要だった。

先端のフォーク部分で器用に麺を拾い上げ、
深みのあるスプーン部分でスープを飲む。
これはラーメンを食べるために開発された道具なのだ。
男はおそるおそるその道具を使ってラーメンを食べてみた。

結構いけるじゃないか。

何事も経験してから物を言え。
すでに小学生の時に父親にそう教えられていたはずの男は、
この時その言葉の意味を体感したのであった。

………

「ねぇ、どうしたの?早く入ろうよ!」
女がくったくのない笑顔で男を見つめている。
そうだ、何事も経験してから物を言わなければ。
男は作り笑顔でこたえ、一軒のラーメン店へと入っていくのであった。

(第3話に続く)

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2005/01/17

第1話「運命の出逢い」

showersの日、男は渋谷のSHOWER'Sで女を待っていた。
たいていは待たせることが多い男ではあったが、
いつになく早く待ち合わせ場所についたのは
久しぶりの渋谷の街を一人で楽しみたかったからなのかもしれない。
窓の下にはスクランブルを急ぎ足で歩く人の波。
それとは無関係にゆったりと時が流れる店内。

「お待たせ!今日は早いね!」
女は数日前に男と一緒にGAPで買った
赤い毛糸の帽子をかぶってやって来た。
「渋谷なんてあんまり来ないから、出口が分からなかったよ」
確かに渋谷駅から一発で目的の出口に出られる人は
なかなかいないのかもしれない。
幼稚園の頃から東急百貨店のお好み食堂を行きつけにし、
三千里薬品の甘栗を好物にしていた男にとっては
渋谷は庭のようなものだった。
しかし時は流れ、人も変わってしまい
いつしかハチ公の向きまでが変わってしまった。

男と女は店を出た。
夜の渋谷の街を歩き、道玄坂を登る。
男にとっては裏道までも知り尽くした街。
円山町まであと少しだ。

「ねぇ!ここ入ろうよ!」女は急に立ち止まった。
そこは久しく渋谷を訪れていない男にとっては
緑屋があったはずの場所であったが
今はザ・プライムと名前を変えていた。
「このあいだ、テレビでラーメン特集やっててさ、
このビルの中にあるラーメン店が出てたんだよ!食べたいなぁ」

ラ、ラーメン?男は耳を疑った。
男は散々この女に色々な食事をさせてきたはずだった。
時には「ラ・ロシェル」で鉄人の味に酔いしれ
あるいは「ロア・ラ・ブッシュ」でワイングラスを傾けた。
その女が今「ラーメン食べたい」と言ったのか?

そして女に手を引かれ、
男はザ・プライムの中へと
心ならずとも足を踏み入れたのであった。

(第2話に続く)

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